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桂小五郎(木戸孝允)

薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通と並び「維新の三傑」と称せられるのが桂小五郎こと木戸孝允。最も早く攘夷・倒幕に燃えていた長州藩の中で選ばれたのが彼一人というのには訳があるのです。長州藩で早くに倒幕活動をしていた志士たちは一途に、苛烈に活動していた故に志半ばで倒れた人が多いからです。そんな中で桂小五郎は倒幕運動に早くから荷担して暗躍しつつ、暗殺者の手を巧みに回避し維新まで生き延びたのです。その窮地を脱し続ける姿に「逃げの小五郎」と異名を持っていたのですが決して臆病ゆえに逃げていた訳ではなく、短絡的な行動を自重し忍耐強く好機を待つのが彼のやり方。そしてその甲斐があり、第一次長州征伐後に藩政権の統率者に迎え入れられ、幕府と対抗できる「強い長州」を作り上げたのです。以降長州藩の代表者として薩長同盟を樹立、第二次長州征伐に勝利し、この頃に木戸孝允と名を改めました。倒幕後は明治新政府の元勲の一人となり新政府のリーダーとして活躍が期待されたのですが、病に倒れ西南戦争の最中に45歳で世を去りました。ここで病死していなければ歴史にも影響を与えていただろうに、と思うと惜しいです。

現代人も見習いたい、合理精神

桂小五郎のすごいところは江戸の三大道場のひとつ斎藤道場で修行し、神道無念流の免許皆伝を得て入門1年にして塾頭となったほどの凄腕の剣士でありながら、敵に刃を向けずに逃げの一手であったところ。「逃げるなんて情けない」と思うかもしれませんが、相手には喧嘩慣れした人斬りも大勢いるため、桂の腕をもってしても斬り合いは得策ではない。無理に戦い命を落とすよりも、逃げてでも生き延びて後世の役に立とうという姿勢が当時としては珍しい、現代にも通じる合理精神ではないでしょうか。

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