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来島又兵衛

生来負けん気が強くて正義感の強い人柄で慕われていたのがこの来島又兵衛。腕っぷしも強く、青年期に入る頃本格的に剣術修行に取り組みその頭角を現していました。来島が江戸在番の任に就いている頃に黒船来航という大事件が起こり、彼と同じく武装して沿岸の警備にあたっていた長州藩兵たちは黒船の威圧に恐怖していた中、来島は敵意をむき出しにして怒りを抱いていました。この怒りのエネルギーが後に尊皇攘夷の信念へとつながっていたのかもしれません。来島が藩の要職に就くようになると、長州藩はいよいよ尊皇攘夷の考えが過激化して幕府からも睨まれるようになってきました。そして八月十八日の政変、新撰組の池田屋襲撃事件と同胞が犠牲になると、仲間思いの彼は黙っていられません。藩兵を率いて京都へ進撃し、禁門の変で大暴れしましたが健闘空しく敵の銃弾にあたって重傷を負い、そして自ら喉を槍で突く壮絶な最期を遂げました。長州藩で最も過激な武闘派であった彼はまさに武士の中の武士。長州藩士を倒幕へ目覚めさせる起爆剤となったのが彼の生き様です。

体育会系の頑張り屋

来島が剣術修行に熱心になった頃、長州藩の剣術は形ばかりを重んじるスタイルから、実戦的な試合を重視するものへと大変革している時期でした。それが彼の気質にも合っていたこともありメキメキと上達し、ついには新陰流兵法の免許皆伝を授かるまでにマスターしました。「剣客」の名に恥じないよう、日々の猛練習も欠かせなかったそうですが、やるときには徹底的に頑張る姿勢が彼のアイデンティティー。それが来島又兵衛の魅力でもあります。

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