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高杉晋作

固定観念にとらわれない柔軟な発想と行動力こそ高杉晋作の魅力。幕末の志士には思想信条にこだわり過ぎるが故、勝算の無い衝動的行動に走る者も少なくなかったですが、そんな時代に「勝利するための工夫と計算ができる」特殊能力を持った高杉は貴重な人材だったのではないでしょうか。「工夫」の一例として、庶民や農民からも兵士を募って創設した「奇兵隊」が挙げられます。当時は武器をもって戦うのは武士だけの特権だったという“常識”を覆す発想力は彼ならでは。もちろん適当に奇兵隊を構成した訳ではなく、古い兵法に染まった武士階級よりも、無垢な庶民階級出身者だからこそ新たに採用した西洋式の装備や戦術も吸収しやすいというメリットも考えてのことです。また1864年、英仏米蘭4ヶ国連合艦隊との下関戦争の和議交渉では要求された「領土の租借」が植民地化を意味すると見抜き頑として受け入れなかったというエピソードもあります。これは清国の植民地化された実情を目の当たりにしていたため、日本が同じ道を辿らないようにとの「計算」です。彼は大政奉還の半年前に結核で病没しましたが、動乱の時代であった幕末こそが彼が生きるに相応しい時代。短くも輝いた人生を送った人物です。

結果オーライも才能?

英国公使館を焼き討ちするなど過激なテロ行為に加担したり第二次長州征伐で幕府軍翻弄したりと奇想天外な行動が多い高杉。これらは意味ある行動ではあるのですが、理解に苦しむ奇行が金銭感覚の酷さ。藩命で清国へ行く途中、寄港した長崎で支給された出張費用を使いこみ遊び狂い、また日本が力を持つべきだと考えたら独断で2万両のオランダ船を買おうとするなど金銭感覚のでたらめさには周りもあきれるほど。しかし後に独断で買った軍艦(丙寅丸)は四境戦争で大いに威力を発揮したので、この「でたらめ金銭感覚」も一種の才能だったのかもしれません。

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