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薩英戦争

薩摩藩とイギリス間の戦争「薩英戦争」のきっかけは「生麦事件」。島津斉彬亡きあと藩政の実権を握っていた島津久光が江戸から薩摩に帰る途中に起こった事件です。彼の大名行列が生麦村へ差しかかった時に乗馬したイギリス人4人と遭遇、一行は行列に馬を乗り入れてしまったため誇り高い薩摩武士が1人に斬りかかってしまったのです。日本の国法からすれば大名行列を避けなかったイギリス人が悪い、という見解になりますがイギリス人がこれに納得するわけも無く謝罪と賠償を請求。しかし薩摩藩はこれを無視したため薩摩とイギリスは戦争に。当時世界最強だったイギリスの圧倒的な武力に苦戦しながら、薩摩も健闘しイギリスを撤退させました。結局戦後交渉で薩摩藩は2万5000ポンドを賠償金として支払うことに応じ終戦。薩摩、イギリスは共に互いの力を認め、友好関係を深める糸口ともなった戦争でもありました。

柔軟な思考と高い矜持を発揮

イギリス公使は謝罪と賠償金を薩摩藩だけでなく幕府にも請求していて、幕府の方は平謝りで賠償金も支払っていたのですが薩摩藩は頑として応じず「悪いのはイギリス人だ」と折れない。当時の最強国に対しても卑屈にならずに応戦し、武器の性能で圧倒的に劣っていてもひるまずに戦い続けた勇猛な姿にイギリスも敬意を表したそうです。薩摩側もイギリスの強さを認め、攘夷が無理だという事を持ち前の柔軟な思考で悟ることとなりました。良くも悪くも薩摩の人柄が強く出た一件でした。

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