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天誅組の変

攘夷運動が激しさを増す中ついに異国嫌いの孝明天皇が攘夷決行を決断し、1863年に吉村寅太郎をはじめとする尊皇攘夷派労浪士の一団・天誅組が大和国で決起し、後に幕府によって鎮圧された事件が天誅組の変です。天皇から攘夷の決行を迫られた幕府は、表面上は異国人と異国船を追い払うことを約束したものの、実際には異国船を砲撃するなどの暴挙はせず攘夷を決断したとは言い難い状態。しびれを切らした攘夷派は大和行幸を推進し、これに連動して攘夷の先兵として動いたのが、吉村寅太郎ら38人の志士で結成された天誅組です。彼らは五条の代官所を襲撃して占拠し、ここを朝廷の直轄として「御政府」を名乗りました。それにつづいて京でも攘夷派が幕府の勢力を都から駆逐し、攘夷派による政権ができるはずでした。しかし計画に狂いが生じ、天誅組は暴徒として幕府に狙われることに。その後篭城しようとした城を奪えなく、手間取っているうちに幕府軍が迫る、討伐軍は包囲の輪を縮めて天誅組を追い詰めていきました。そして天誅組は解散、事実上壊滅し反乱は鎮まりました。

攘夷派政権ができるはずが…

当初の予定では天皇が大和の神武天皇陵を参拝したときに、ここで攘夷親征の詔勅が発せられ全国の諸勢力に攘夷を促すはずでした。しかし八月十八日の政変が起こってしまったことにより天皇の大和行きが延期になり、当然攘夷の詔を発することも不可能に。そして京都から攘夷派勢力は駆逐され、大和で挙兵した天誅組は孤立無援。さらに幕府が天誅組討伐隊を差し向け、主要人物を次々と失った天誅組は壊滅。攘夷派による政権を築くことはできませんでしたが、この事件が維新への道を作ったということは確かです。

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