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榎本武揚

日本初であり、今なお彼以外には存在しない『大統領』であったのが榎本武揚という人物でした。幼い頃から学問に熱心で洋学にも通じていた彼は、幕府が開いた長崎海軍伝習所に入所して航海術や国際情勢も学び、幕府海軍の士官候補生となりました。27歳のときには幕府留学生としてオランダに留学し、幕府が発注した最新鋭の軍艦『開陽丸』を回航して帰国。その後は海軍副総裁に任ぜられ実質的に幕府海軍のトップとなりました。そして江戸城の無血開城が行なわれ江戸を占拠した新政府軍は、江戸湾に停泊する幕府艦隊に降伏を呼び掛けるものの、旧幕臣に対する厳しい措置に憤慨し榎本はこれを拒否。抗戦派の幕臣らを収容し旧幕府艦隊は江戸湾を出て北海道へ。函館の五稜郭に本拠を置いて『蝦夷共和国政府』を樹立し、入札(選挙)によって榎本は総裁に選ばれました。これが民主的な選挙によって選ばれた国家元首、日本では唯一の“大統領”の誕生です。しかし新政府軍も黙っておらず、北海道に侵攻し圧倒的な兵力で五稜郭を包囲。わずか1年あまりで蝦夷共和国は消滅してしまいました。

罪人から大臣へ

内乱罪の罪人として新政府軍に捕らえられた榎本ですが、国際的能力を惜しむ声も多く黒田清隆や福沢諭吉による助命運動により2年半ほどで特赦出獄されて、以降は新政府軍の官僚として迎えられました。堪能な語学を利用して榎本は外交官として樺太・千島交換条約の締結に尽力し、外務大臣や農務大臣などの要職も歴任し、1890年には子爵の位まで授けられました。罪人からここまで立ち直るのはひとえに彼の実力の賜物。「明治時代最良の官僚」と後世の評判も高い、人気のある人物です。

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