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井伊直弼

200年以上に及ぶ鎖国政策を終わらせ、開国に転じた人物。それが井伊直弼です。黒船来航や将軍後継問題で大忙しの時代に大老に就任した彼は、外交に関して「勅許を得ない重罪は全て自分に」のポリシーの下、朝廷勅許を得ずに日米修好通商条約に調印しました。そして将軍後継問題に関しては紀州・徳川慶福(後の将軍・家茂)を推し、ライバルの一橋慶喜や彼を推すグループ、尊皇攘夷論者など反対派をまとめて徹底的に弾圧した「安政の大獄」を始めます。かなり強引なこれらの政策ですが、日本が生き残るには必要な手だと彼は考えていたのです。鎖国を主張するあまり無駄な犠牲が出ることや、反対派と話し合っているうちに西欧諸国に侵略されることを避けるために行なった英断なのです。しかし彼の真意が全ての人に伝わるわけではなく、井伊に強い恨みをもった水戸藩浪士を中心としたグループによって暗殺されてしまいます。1860年、「桜田門外の変」で命を落としました。

不遇な前半生から大老へ

徳川四天王の井伊直政を祖とする譜代中の譜代の家系に生まれながら、井伊直弼の前半生はあまり良いものとは言えませんでした。直弼は文武両道で茶道や和歌など芸術的素養もあったものの、兄がたくさんいたため家督を継げるチャンスは無いに等しい。部屋住みの居候として一生を終えるか…とまで考えていたのですが、藩主を相続した兄が亡くなったことで彦根藩藩主に。そこから幕府の最高職、大老に成り上がることができたのです。大老として活躍した時期は短いものの、彼の英断が後の日本を大きく動かすこととなったのです。

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