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沖田総司

剣の腕で言えば近藤勇も土方歳三も敵ではなかったと言われるほどの新撰組最強剣士であった沖田総司。幼い頃に陸奥白河藩士であった父を亡くし、天然理心流の門人だった井上林太郎が家督を継いだことから、沖田も内弟子として試衛館に寄宿していました。天性の剣の才能に加え、幼少期から本格的な修業をしていたため17歳のときには既に道場では無敵の存在に。近藤が婿養子として試衛館を継いだ頃、20歳の沖田は塾頭として門人を指導する立場になっていました。彼の活躍が最も目立ったのは、新撰組の名が知れ渡るきっかけになった池田屋騒動。池田屋に最初に駆けつけたのは近藤、沖田、永倉新八、藤堂平助の4人だけ。そのうち2階に上がったのは沖田と近藤の2人だけで、待ち受けていた志士は20人以上。しかし10倍もの人数を物ともせず沖田は次々と敵を斬り捨てていき、志士たちは怖気づいて我先にと逃げていくほどの獅子奮迅の戦いぶり。新撰組の武器としてその能力を存分に発揮したのがこの一件でした。

最強剣士、しかし弱点が

強さにおいては他の追随を許さないほどの才能をもっていた沖田ですが、弱点も。肺結核持ちで乱闘が始まってしばらくすると喀血して昏睡してしまうのです。この後も度々発作を起こしてしまうので長時間は戦えないのが難点。この時代、結核は不治の病であったため病状は悪化する一方。鳥羽・伏見の戦いで敗走し、江戸に着いた頃には末期的にまで悪化。その後は病床につき、沖田が父や兄のように慕っていた近藤が斬首されたことを知らずに彼のことを心配しながら、近藤の死の2ヶ月後に大量に喀血しこの世を去りました。

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