HOME幕末を生きた風雲児たち > 土方歳三

土方歳三

「鬼の副長」新撰組時代はこの異名を持ち、敵の尊皇攘夷派志士だけでなく味方の隊士までもが恐れた男が土方歳三。たまたま近在まで出稽古に来ていた近藤勇と知り合い、同郷で生まれが富農だと境遇も似ていることから彼によく懐き、ついには江戸まで付いていき、そのまま近藤の試衛館に居付いてしまいました。後に新撰組が結成されるとナンバー2として副長の肩書を持ち、近藤をサポートし続けました。スポンサーである会津藩との折衝や、背いたものは切腹!という厳しい規律「局中法度」を制定したのも土方。運営や組織作りに才がある土方の手に委ねられたからこそ、新撰組は組織として揺るがない存在となったのです。局中法度に背いた者に、血も涙もないような容赦ない切腹命令を下したことから批判されることもありますが、この厳しい制度があったからこそ鉄の規律と最強の戦闘力を誇る軍団が維持できたのです。土方はあえて汚れ役を引き受け、新撰組を支えていたのです。最後には蝦夷共和国の最強先頭集団としての活躍もあったものの、銃弾に倒れ北の地で散りました。

土方と近藤、それぞれのスタイル

土方と近藤の大きな違いは、近藤は近代兵器や鉄砲に対しても刀を離さない古風な武士スタイルを維持していたのですが、土方はそれらの威力を見ると「もう刀の時代ではない」と近代兵器に切り替えるところ。髪型や服装も動きやすい洋装にして、西洋式の戦術や兵器を取り入れるなど柔軟な考えをもっていました。気合いで何とかしようとする精神主義者の近藤と合理主義でリアリストの土方。違う二人だからこそ互いに支える存在となったのでしょう。

TO TOP