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中村半次郎(桐野利秋)

野太刀自現流を学び、人をすれ違いざまに斬りながらも瞬時も立ち止まることなく相手をたおしたとも言われる抜刀術を得意としていた中村半次郎(明治に入って桐野利秋に改名)。「人斬り半次郎」の異名をもち、幕末の四大人斬りの一人に数えられますが実は暗殺には一度しか荷担していなかったとも言われています。性格も根暗な暗殺者気質とは違い、明るく陽気な酒豪で仲間からも好かれていたそうです。指揮官としての才能もあり、戊辰戦争では西郷隆盛の下で城下一番小隊隊長として軍勢を率いて駿府・小田原を占領するなどの活躍もありました。明治に入り軍が創設されると陸軍少将に抜擢され、熊本鎮台司令官などを歴任したのですが、西郷が下野すると彼に従い鹿児島に帰ってしまいました。西郷のためなら少将の位も俸給も捨てるといった一途な面をもった人物でもありました。最期も西郷と共にと、西南戦争で戦死しその一生を終えました。

「人斬り半次郎」の意外な面

中村は無学・無教養の頭の悪い人物ととらえられることもありますが、実際には漢学の素養があり勝海舟から「西郷の部下でも桐野とかいうのは、なかなかの逸材」という評価も受けていました。そして人情家でもあり、戊辰戦争の頃から心酔していた西郷と運命を共にすべく、西南戦争では西郷の自決を見届けた後政府軍に突撃し果てました。「剣術だけの男」ではなく、知識と人情をもった人材だったのです。「暗殺者」より「戦闘指揮官」の肩書の方が似合う人物だったそうです。

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