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田中新兵衛

「幕末の四大人斬り」の一人に数えられるのがこの田中新兵衛。彼に関しては謎も多く、出自は船頭であったり薬種商であったりと様々な説があります。しかし動乱のこの時代において生まれはどうであれ、剣法の腕が優れていれば庶民階級からでも武士に取り立てられることも多々あり、田中もその道を行きました。薩摩藩の陪臣として特技である示現流の一派、野太刀自顕流の剣術を活かし暗殺者として活躍するようになりました。井伊直弼の腹心だった島田左近をはじめ、本間精一郎、渡辺金三郎、大河原重蔵、森孫六、上田助之丞など佐幕派の者たちを次々と暗殺しました。彼の剣術は最初の一撃に全身全霊を賭け、肉を切らせて骨を断つように渾身の力を込めて斬りかかる手法で、その剛剣は一太刀で相手の肩口からへその辺りまで斬り下げたと言います。テロリストが横行する当時の京都のなかでも、彼の手にかかった惨殺死体は特に京の人々を震えさせました。しかし1863年、公家の姉小路公知が暗殺された現場に田中の愛刀が落ちていたことから彼は捕縛され、黙秘したまま自刃し果てました。これにより事件の真相は闇の中へ…

実行犯説が有力なものの

姉小路公知殺害現場に田中の刀と薩摩下駄が転がっていたことを証拠に彼が犯人だと断定されたのですが、これには疑問が。暗殺者として優秀だった田中にしては手際が悪く、刀を現場に置くという決定的な証拠を残すのもおかしい。刀は数日前に盗まれたという説もありますが、近年の研究ではその説は信憑性が薄く田中が実行犯だという説が有力になっています。それにしても何故最も証拠になりやすい刀を現場に置いていったのか…謎はまだ残っています。

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