HOME土佐の風雲児たち > 坂本龍馬

坂本龍馬

日本人なら知らない人は居ないと言っても過言ではない幕末ヒーローと言えば、坂本龍馬。彼の功績のうちベスト3を挙げるなら、それまで犬猿の仲だった薩摩と長州の手を組ませた『薩長同盟』、薩長同盟の力を利用して政権を幕府から朝廷に返還させた『大政奉還』、日本初のカンパニー『亀山社中』の設立でしょう。亀山社中、後の『海援隊』はただ利益を追求するだけの商社ではなく、それと同時に倒幕を目指す秘密結社でもありました。薩長同盟の締結が成功したのも海援隊の活動と京都に潜伏していた同士の中岡慎太郎の助力があってのことです。坂本の斡旋によって京で長州の桂小五郎と薩摩の西郷隆盛の会見が実現し、水面下で最新の銃や大砲などの兵器を集め倒幕への準備をしていました。坂本が佐幕派、倒幕派の双方から知られた存在となったのもこの頃。有名になった反面佐幕派から睨まれ、京都では指名手配犯として幕吏に追われたり暗殺者の標的になったりと常に命の危険と隣り合わせの生活を送ることとなってしまいました。そんな中、大政奉還は実現し新たな世の始まりを迎えましたが、その直後、京の近江屋で面談していた坂本と中岡に刺客の手が。坂本は額をざっくり斬られ絶命、中岡もその2日後に亡くなりました。明治維新最大の功労者・坂本龍馬は33歳の誕生日にその一生を終えました。

「船中八策」により大政奉還は成されたが…

坂本の出身地・土佐藩も遅ればせながら倒幕の波に乗り、坂本との提携を欲して彼の脱藩の罪を許し、更に海援隊にも資金的援助を申し出てきました。その土佐藩との連絡役は後藤象二郎が担当し、京に向かう船の中で坂本は後藤に大政奉還による穏便な政権の委譲、雄藩が揃って参画する挙国一致体制の創案などを提案。これが「船中八策」です。後藤はこれを山内容堂に提出し、土佐藩の進言として将軍・徳川慶喜を説得して大政奉還を実現しました。しかしこの直後、発案者である坂本は暗殺され、彼が望んだ国を自らの目で見ることは叶いませんでした。「残念、残念」と囁いて亡くなった気持ちも分かります。

TO TOP